プランタス 日々のブログ

2015/06/30

晴れてオープン



 一年でもっとも庭仕事が楽しくない、寒くて、ウェットな2月に着工した、篠山のF邸のリニューアル工事。
名残の雪や、早春の冷たい雨にたびたび中断されながらも、一歩一歩と作業は進み、春が訪れ、各地でオープンガーデンが始まるころにようやく完成を迎えました。
 思いがけず大工事になりましたが、完成した庭はあくまでもシンプルに、おおらかで管理のしよい庭になりました。何よりも、日陰でくぼんでいて、蛇の通り道だからと近寄りがたかった、庭の中ではデッドスペースとなっていた空間を一新して、メインテラスにできたことがうれしい限り。写真は晴れて庭園公開をされた日の様子です。まだ芝生が生えそろっていませんが、ダイナミックで品のあるフロントガーデンになりました。


同じ場所とはわかりにくいですが、こちらは施工前のテラス付近の様子です。石が多く、木々が生い茂って足元も見えにくく、てちょっと足を踏み入れにくい場所でした。





 

 これまで庭づくりをお手伝いさせていただいたほかのお庭と同様に、こちらでも奇をてらったことはせずに(やろうと思ってもできないのだけど)、施主様の暮らしに沿うように、大事にされている草花や木々をより美しく、引き立てるように、と考えた『引き算』のデザイン。もちろん施工は手を抜かず、丁寧に、丁寧に。

その年齢を感じさせないバイタリティあふれるすてきな施主様にご縁をいただけたこと、そして今回はじめて一緒にお仕事させていただいた庭雅のO氏にも感謝感謝の思い出深い工事となりました。



2015/04/06

春の香りいっぱいに

山の谷間のミツマタ群落
3月の半ばも過ぎると春が一足飛びにやってくる。
あっもう梅が散る、あぁ桜が桜が、わぁコバノミツバツツジが咲きそう、やばいやばい(何が?)
 
季節の移ろうときというのは、その留めておけない儚さに心がざわつく。花や新緑を見て、幸せな気分いっぱいなのに、それが明日にも変化してしまうと思うといても立ってもいられない気持ちになる。いつもの散歩道もにぎやかに、ミツマタ群落が宴を催し、ジンチョウゲがひっそりと、しかしその香りで存在感をアピールしている。
目よりも確実に、鼻や音、肌に触れる空気に強く春を感じる。
道端の水たまり、数日の晴天が続いても水が枯れず、大雨が降っても溢れ返らないという絶妙な場所を選んでガマガエルが卵を産みつけたのを見たのも人生四十うん年ではじめての出来事。それを毎日、毎日、見続ける。孵化してひじきみたいだったのが徐々にオタマになっていく。
 
フキノトウの季節が過ぎ、いつの間にかコゴミ(クサソテツ)も大きくなっている。それならばと机の前の窓の外を見ると、しっかりとウルイ(ギボウシ)も『私たち食べごろよ~』と生え揃っている。
では舌でも春を感じておかなければ。スローライフ?!イエイエ、めちゃめちゃ忙しいです。
 
 

2015/02/19

雨水


明日、2月19日は二十四節気の『雨水』なのだと今年のカレンダーが教えてくれた。
雪が解けて雨となり、氷が解けて流れる季節をいうのだそう。

気温は相変わらず低いけど、確かに立春を過ぎたころから空気が変わるのを感じる。肌に触れる空気の感じが柔らかく、日が差すととたんに暖かくなる。
この辺りではせせらぎが凍り付いてしまうようなことは少ないけれど、水の流れる音、朝露にも春のやわらぎを感じる。今朝は夜じゅう静かに降った雨が、木々の葉や枝にたっぷりとたまり、そよ風が吹くだけでパラパラパラッと雨が降り注ぐ。
木漏れ日の差す中で、パラパラパラと雨に降られる。
ああ、木々は根にも、その体内全体だけでなく、外側の枝葉、幹肌のくぼみの一つ一つにもこれほどたくさんの水を蓄えるのだと、あらためて気づかされる。
ちっとも冷たくない、春のやさしい雫たち。

しかし翌日、その『雨水』当日は朝からの雨が徐々に霙(ミゾレ)となり、雪となり、あれれ逆だよ~と思ってしまうおかしなお天気。
季節の変わり目、一日のうちにころころ天気が変わる。
振り回されるのは人間ばかりでなく、勢いづいて蕾をほころばせた早春の花たちも、うなだれたり、成長したりと忙しい。
三寒四温のリズムで、ここから一気に加速する春。

2015/02/02

春の気配

今朝も小雪が舞っていますが、新しく掛けたばかりのカレンダーを早くも1枚めくり、暦の上では立春も間近。
ふとみれば庭のハマメリス・ダイアン(マンサク属 Hamamelis × intermedia 'Diane')が鮮やかな花をほころばせていました。ゆっくりと、でも確実に季節が移り変わっていることを確信した朝のひととき。

2015/01/25

楮刈り


楮刈り

『こんばんはぁ。楮会でございますぅ~…』独特のイントネーションで防災無線を通して流れるアナウンスは集落の楮会代表、モイチさんより。

 私たちが移り住んだ旧加美町の、この杉原の地域は伝統的な手すき和紙、杉原紙の産地です。その起源は奈良時代にまでさかのぼり、1300年という長い歴史を持ちます。大正時代には一時絶えてしまっていましたが、昭和45年に復活され、現在は兵庫県の重要文化財に指定されています。子供たちも小学校6年間を通じて和紙作りを体験し、6年生になると、原料の楮の刈り取りから川さらし、そして漉き上げるまでの全ての工程を体験して、自分だけの卒業証書を作ります。

1月の終わりのこの日は地元老人会の方々が鎌や鋸等を持って、集落の楮畑で刈り取りを行います。母も新しい長靴と剪定鋏をもって、今年もはりきって(?)参加しました。残念ながら写真が刈り取りを終えた後の切り株ですが、半日ほどみなさんで汗を流して作業をされたようです。

加美区内では、各集落、各戸で原料を育て、製紙所である杉原紙研究所に届けます。皆さんの地道な努力から、地域の方がこの伝統工芸品をとても大切にしている気持ちがつたわります。植物原料から、人の手を通して作り出される製品になるまでの工程を体験できる子供たちは幸せですね。出役が要請されるお年寄りにはご苦労ですが…次は草刈の頃かな。
 

2015/01/09

しあわせな一日

イベントフルな年末年始も峠を越して、今日は久しぶりに何もない日。お天気もどんよりとした曇りで、寒いけど雪が降るわけでない。


犬のさつきとの日課の散歩にも目新しい発見はないけど、湿った砂利道に散った松葉が美しいなとか、静かで変化の少ない針葉樹の森も、じっと立ってみていると小さな鳥がたくさん忙しく飛び回っている事に気づく。

なんてことのない日々のありがたさ。


黙々と山道を歩きながら、『ありがたい』という言葉について思いなおしてみる。


近頃の若い人の言葉なら「ありえねぇ~」とかいうかな(^^;)。
本当にありえない、まさにamazing なことがらに感謝の意をこめて、『有り難い』と、どの時代に誰が最初に口にしたのだろう。びっくりするようなステキな出来事、人の心遣いに、自分のような者には『ありえない』ことと謙遜して、感謝した。


しかし、今日のようななんて事のない日に、私はあえて思う。「当たり前」の「平凡な」、昨日と同じような毎日、ともすればもっとも『あり得る』日々につくづく感謝。家族が顔をそろえ、ちょっとぐらい虫の居所が悪かったりしても、だいたい同じ時間にお風呂に入り、食卓につき、何の疑いもなくあたりまえの床につく。
小さな事でも、特別ではないことがらが突然できなくなったら、それはちょっと足元がぐらぐらゆれるような感じ。楽しいイベントなどでいつもと違うならいいけど、何かトラブルがあって、お風呂に入れないくらいならともかく、疑いようのない憩いの場が奪われたり、あるいは誰かが突然一緒に食卓を囲めなくなってしまったら…そんなことが突然、誰にでも『あり得る』こと。


だからやっぱり「あり難い」ことはありがたい。


誰に言うわけでもないけれど、今日もありえないような平凡な日常をありがとう。



そんな気持ちを大切に、あたらしい一年を過ごせますように。



こちらは1月3日。「ありうる」けど、記録すべき特別な日.


美しく輝いた朝の散歩風景より